2020年 54歳 ~息子たちへ~

老・病・死の問題は

決して他人には代替不能な

個人的な事態であるにもかかわらず

個人ではどうにもならない

「死の一般論」などというものはない

自分なりの「死の哲学」を

模索するほかない


京都大学の

佐伯啓思名誉教授のことばだ


自分なりの死の哲学…

そもそも「哲学」ってなんだ

「考え方」かなぁ

「とは」にすると難しくないか

自分なりの死とは…


まず老い

自力で暮らしていたい

ほらハリーポッターで

ダンブルドアが洞窟で

水を飲むシーン

「何があっても最後の一滴まで…」だ

わたしの日々が、若い目から

もどかしかろうが醜かろうが

わたしは懸命に生きる…予定

死ぬ直前まで

自分が生きていることを

面白がって愉しんでいたい

社会とつながって役に立っていたい

大切な人々を愛していたい

でも もし誰かに迷惑をかけていたら

ストップをかけてね


そして病

わたしが心や体の問題で正常な判断や

自活ができなくなったとき

そのまま生きているのは

わたしの幸せではない

治療はせず

枯れて死にたい

なかなか死にそうになかったら 

わたしの持ち物を処分して

賄える程度のことをしてくれればいい

仕事を辞めて介護しようなんてダメだ

お金は生きていく人のためのものだ


死について

孤独死上等!だ

ひとりで逝かせたからって

何も悔やむことはない

わたしはやってのけたのだ

わたしはわたしを十分生き愉しんだ

事故だってなんだって

死んだら生き返らないので

それにかかずらわなくていい

わたしは地球の子だから

亡骸は

燃したら海に戻してくれればいい

死は明日かもしれないし

人生100年時代なので

まだまだ先かもしれない

54歳の今のところはこのような考えで

きれいごとかもしれないけど

実現できるように日々努めるつもりです


(この文章は、毎年編集します

 ガラリと考えが変わったりして!)


Ora Orade Shitori egumo
「永訣の朝」宮沢賢治

青空通信

双子の子育てや離婚、自分の成長、 他の方々から頂いた言葉、 出会った言葉を綴っています。

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