火傷

1970年 4歳の冬

足に深い火傷を負った


母に頼まれて

夕食ができたことを

住み込みの大工さんに知らせに走った


その途中

石油ストーブに衝突し

煮えたやかんが落ち

こぼれた湯の上に

ころんだのだ


母がわたしを抱え

台所で水を流しながら

長ズボンを脱がせると

ズボンと一緒に

ぺろんと右足のひざから下の皮が

はがれてしまった


痛みの記憶はない


父の運転で病院へ運ばれた


手術台の上で

全身麻酔をかけられたのだろう

カメラのシャッターが閉じるように

視界がキュゥと縮まり

上に丸く並んだライトが

ぐるりと回りながら消え

暗闇になった


母から輸血を受け

右腿から3枚 左腿から4枚

短冊状に皮膚を剥ぎ取り移植した


約50日の入院生活

大部屋は子どものわたしの目には

とても広かった

私のベッドは窓側の端にあり

部屋の中央の向かい側に

顔中に包帯を巻いた若い女性がいた

焚火の中で

ボンドが爆発してしまったと聞いた

ひとつ年下の男の子と仲良くなって

毎日遊んだ


夜は

母が付き添って泊まってくれていた

傷の保護のため

ベッドには木の覆いが乗せられ

その上に布団がかけられた

電気のついていないこたつのようで

肌寒く心細かった

眠れず 傷は痒い

でも掻いてはいけないというので

そっとたたいて我慢する


日中売りに来る

ビン入りのヨーグルトが楽しみだった


退院後 風呂上りに薬を塗る母に

「20歳になったら傷なくなるよね」

と聞いた

母は顔を上げずに「そうね」と言った

青空通信

双子の子育てや離婚、自分の成長、 他の方々から頂いた言葉、 出会った言葉を綴っています。

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