物語2 Salina Carter の手紙 (2)

ようせいは あかちゃんと

小さなこどもが だいすきです。

とりわけすきなのは

まだ ことばがはなせない あかちゃんです。

あかちゃんは ことばは はなせないけれど 

ようせいだけでなく 風や

おひさまの光のせい 木やくさのせいがみえて

はなすことができます。


あかちゃんは かみさまと てんしのすむ

せかいのはなしを きかせてくれます。

そんなとき あかちゃんの ひとみには

うつくしいはなばたけと あおぞらが

うつっています。


ことばが すこしずつ はなせるようになると

ようせいたちの ことばはきこえなくなり

すがたもみえなくなるようです。

めには みえなくても

ことばが きこえなくても

しんじてもらえることや、

こどもたちの たのしそうな

すがたをみていることで

ようせいは げんきがでてくるのです。


うまれてからしばらくのあいだ

ようせいたちは まいにち

まだできたての ようせいのしずくが

こわれてしまわないように かれはや

ごみをはらったり つよいかぜから

まもったりします。

おだやかな ひには ことりといっしょに

うたをうたったり がっきをひいたり 

かぜにのって くものうえまで

とんでみたりもします。


わたしはうまれてからずっと なんねんも

けやきのおじいさんの おはなしをききながら 

しずくのせわをしていました。

あるひ おじいさんが

「そろそろ わたしからはなれて

じぶんのめで いろいろなものをみておいで」

といいました。

わたしは あたらしい いえをさがすために

おじいさんの木から とびたちました。


チューリップのはなのなか あしながばちのす

はなむぐりいえ ツバメのすにも

すんでみました。

すむいえをさがしながら

たくさんのともだちが できました。


まだ風がつめたい 3月 わたしは

白い花のさく モクレンの木を

すまいにきめました。

川ぞいの ゆうほどうにある

小さな木ですが 空き家の

鳥のすばこが 2つもかかっています。


すむばしょを きめたようせいは

しごとをはじめます。

こどものはを あつめて さくひんをつくる

ようせいも たくさんいます。

いまのわたしのように

ピアノのけんばんをつくる ようせいもいれば 

おくばだけを あつめて

かんむりをつくったり

むしばで コップや おさらをつくる

ようせいもいます。

いぬやねこのけで おふとんをつくったり

すなのなかから きんぞくをみつけて

コインをつくったり。

ようせいのひく バイオリンのげんは

ねこのひげなんですよ。


ものをつくるほかにも

わたりどりの せなかにのって

たびをする ようせいもいます。

つばめのせなかには たいていひとり

かもめや かもには

たくさんのようせいがのっています。

とおいくにから たびをしてきたようせいは

きれいなかいがらや ほしのすな

ふしぎないろのいしなど

めずらしいものを たくさんもっています。


こうえんには たくさんのようせいが

すんでいますし すんでいないようせいも

まいあさ こうえんにやってきます。

みんなそれぞれに つくったものや

もっているものをこうかんします。

こうえんは ようせいたちの いちばです。


すまいをみつけた おなじころ ちかくで 

ちゃいろのピアノを まどから

いれようとしている いえがありました。

わたしは ひと目で

そのピアノが すきになりました。

わたしは ピアノといっしょに

いえにはいりました。 

それが 陸くんと 海くんの

いえだったのです。


わたしが はじめて いえにはいったとき

本だなのうえに せのたかいおんなの

ようせいが すんでいました。

その ようせいは いぬの…

そう なみの けをあつめて

もうふや じゅうたんを おっていました。

わたしが たいせつに している

もうふも なみのけで できています。


なみが しんでしまったとき

そのようせいは とても かなしみました。

きえてしまうかと しんぱいしました。

でも おうちのひとたちの ながすなみだには

かなしい きもちだけではなく

なみをあいする あたたかいきもちが

たくさん はいっていました。

ようせいは きえずに すみました。

そして すこしげんきが でてきたとき

ほかにすむいえを さがすために

でていきました。


わたしの ピアノのせんせいは

かわぞいの ふるいいえの

トチの木にすんでいる

アルボというおにいさんです。

アルボのひく ピアノの音にひかれて

まいにち ききにいくうちに

はなしをするようになって

ピアノのひきかたや つくりかたを

おしえてくれるようになりました。


アルボは ゆきのようにしろくて

すらりとほそく 

えりのあるしろいシャツに

うすいはいいろのながいズボンをはいています。

とても はずかしがりやで いつも 下をむいて

ながいまえがみと くろいふちのメガネで

かおをかくしています。

でも しずかにぽつりとはなすことばは

まじめで やさしくて

ときどきおもしろいのです


アルボは まいあさ ケーキをつくります。

アルボがつくる トチの実のケーキは

はちみつあじで おいしくて 大にんきです。

こうえんの クスノキのふといえだに

アルボとわたしが

しなものをならべるまえから

ぎょうれつができて

あっというまになくなってしまいます。

わたしはときどき れんしゅうのあとで

アルボのピアノをききながら

やきたてのはじっこを ごちそうになります。


わたしができることは コインをつくること

ピアノをつくること 字をかくことです。

字は けやきのおじいさんが

おしえてくれました。

ほそいえだの さきを

ふでように つかって 

このはに あめのしずくで 字をかいて

おしえてくれました。

雨あがりには 字を おしえてもらうために

たくさんの ようせいが

おじいさんの木に あつまります。

字がかけるようになり 本も

よめるようになりました。

コインのつくりかたは いちばで

手にいれた ふるい本で おぼえました。


わたしは ちかくの

コブシの木に すんでいますが

ピアノのおとがすると いそいで

いえに はいって きいています。

さむいひ さびしいひは

ひとりぼっちのいえには もどらず

ピアノのうえの ひつじのぬいぐるみのあいだで

ねむります。


まどにつるした ガラスのたまが にじいろの

ひかりのせいたちを まねきいれるじかんも

だいすきです。

わたしも ひかりのせいたちと

とびまわり いっしょにあそびます。

ピアノも このいえも かぞくのひとたちも

だいすきです。


ようせいをしんじて

ようせいがつくったものを

ながいあいだたいせつにもっていると

いつか ようせいの せかいに

くることが できるそうです。

わたしの つくった コインを

もっていてくれたら うれしいです。

いつのひか あえること はなしをすることを

たのしみに しています。


でも ふたつだけ

まもってほしいことがあります。

ひとつは ようせいの つくった

たべものや のみものを

けっして くちにしないこと。

にんげんの せかいに もどれなくなり

ようせいとして いきることに

なってしまいます。


ようせいは にんげんと おなじように

くらしていますが ひとつ

できないことが あります。

それは あいすること です。

すきに なることは できますが

あいすることは できないのです。

あいしあって かぞくをつくることは

できないのです。 


ようせいは いつも すこし さびしくて

みじかいいのちしかなくても

にんげんのことを 

すこし うらやましくおもっているのです。

だから たくさんのあいに つつまれている

あかちゃんや こどもたちの まわりに

いることが だいすきです。

あいを かんじると

とてもげんきに なれるのです。


もうひとつは このてがみのことも

ようせいのことも ほかのひとに

はなさないでほしいのです。

ようせいのことを ほんとうは

しんじていないひとに はなしをしてしまうと

そのひとの うたがいの きもちが

ようせいに つたわって

ようせいは よわってしまうのです。


うたがいの きもちの はじまりが

陸くんと 海くんの ことばだったら

てがみをかいた わたしは よわって

きえてしまうかもしれません。

陸くんと 海くんの へいわで

しあわせな まいにちが

これからも ずっと つづきますように。

そして そのとなりで

わたしが げんきを もらっていることを

ときどき おもいだしてください。


では さようなら。

2006ねん 5がつ 20にち

サリーナ・カーター

青空通信

双子の子育てや離婚、自分の成長、 他の方々から頂いた言葉、 出会った言葉を綴っています。

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