勉強
勉強するということは
世の中のあれこれを
本当の形と大きさで
知るようになるってことじゃ
ないだろうか
自分を活かす術を
育てることじゃないだろうか
何かを一から学び始めるということは
大きな白い紙に
点をいくつも打つようなこと
面白くもなんともない
点どうしを結びつけ
また点を打ち
結びと繰り返すうち
なにやら絵らしきものになってくる
絵らしきものに色を着けたり
凹凸をつけたりしているうちに
起伏ができて
少し遠くが見えるようになる
得た知識と世の中が結びつくのだ
旅先で 歴史上の人物の足跡に
足を止めることもある
5年の頃だったと思う
そびえる富士山を見て
陸は「富士山を初めて見た」と言った
何度も富士は見たことがあった
続けて陸は言った
「富士山は見たことがあったけれど
勉強するまでは見ていなかった
勉強して やっと見た気がする」
ブラボー陸
そうなると次第に面白くなってくる
しかし やはりやることは
点を打つこと結ぶことの
コツコツとした積み重ね
起伏は丘になり山になり
歩みを進めて上がるうち
他の人が創っている山も
見えるかもしれない
協力し合い
世界が広がるかもしれない
創った世界が世の中に役立ったり
そこで生きるものも現れるかもしれない
。。。。。。。。。。
必要なのは学歴ではなく学問だよ
学歴は過去の栄光
学問は現在に生きている
田中角栄
学問は(当然のことだが)万能ではない。
あるものを精密に見ようとすればするほど、
例えば倍率の非常に高い顕微鏡が
見える範囲が狭まってしまうように、
学問の扱えるものの範囲は
狭い場所に収められるしかなくなってしまう。
その狭い場所しか見えないと
始めから明らかにしておくために、
言葉の指し示す範囲を限定しておくことが
必要となってくるのである。
佐々木礼仁 臨床心理士
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