ひとが作ったもの/音の言葉 響敏也
子どものときから
図工や美術は好きだったし
モネとかルノワールとか
印象派の絵が好きだった
犬を飼うようになり
うみに潜るようになり
動物や自然に親しむようになって
その美しさを知って
ひとが作るものがちっぽけに見え
ひとが作るものがどうでもよくなった
思春期で難しい海との話の中で
漫画のNARUTOを引用したら
海は あれは漫画だ!と反論した
私はそのとき満足な返答はできなかった
持っていた新聞の切り抜きに
人間が作ったものには意思が働いている
それを考えると
どんな物も面白いし 価値があるのです
猪熊弦一郎画伯 日経「こころの玉手箱」20070117
とあった
そこに「思い」があるのなら
感じてみたいと思った
全てのものに
ひとそれぞれ千差万別の
思いがあり意思があるのだな
漫画のセリフにだって
作者の経験や思いがつまっているはずだ
思いには 力がある
ものをつくる
ことをなす
動力は 思うことなのではないか
感じてみたいと思った
。。。。。。。。。。
演奏会へ足を運ぶのは、
今この瞬間、同じ空間、
同じ空気を共有する人が、
どんな音の言葉で
何を自分に語りかけてくるのか、
それを確かに受け止めたいからだ。
私は何も奇異な演奏を
望んでいるのではない。
むしろ真っ当な取り組みの演奏でいい。
そのなかに人間の言葉が在るかどうかだ。
派手な技巧を売り物にするでなく、
正確無比なだけの機械になるでなく、
人間が音楽する大切さを
音の言葉で語れる演奏のことだ。
イングリット・フジ子・ヘミング〜
ほかの誰でもない言葉
響 敏也 作家・音楽批評家
。。。。。。。。。。
目に見えない世界をおおいかくしているまくは、
どんな力のつよい人にも、
いいえ、世界じゅうの力もちがよってたかっても、
ひきさくことはできません。
ただ、信頼と想像力と詩と愛とロマンスだけが、
そのカーテンをいっときひきのけて、
まくのむこうの、
たとえようもなくうつくしく、かがやかしいものを、
みせてくれるのです。
1897年9月21日ニューヨーク・サン新聞「社説」
「サンタクロースっているんでしょうか?」
中村妙子訳
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