物語8 Mare の 一歩 (3)
いろいろな人のドアを開けました。
一度開いたドアが
また閉じてしまうこともありました。
何度も開いて、何度も閉じた鍵穴は、
傷ついて、光も弱く、
なかなか開けることができません。
人によっては、12のうちの
ひとつのドアも開くことなく、
鍵穴のほとんどが埋まって
見えなくなっていることもありました。
可哀想なその人が、疲れて眠るたび、
ボロボロの鍵穴に鍵を入れました。
幾晩も幾晩も。
ある明け方、鍵はゆっくりと回りました。
その人の見ている夢が見えました。
ふるさとの景色でしょうか。
いろいろな人のドアを開けるため
あちこちと行くうちに、
また飛べるようにもなりました。
遠くまで行っても、
いつも戻るのは幼稚園の桜の木です。
幼稚園に住んでいる 妖精とも
木の精とも友達になりました。
もみの木は、嬉しいこと、悲しいこと、
感動することに出会うと
自分のことでなくても、すぐに泣く、
泣き虫の木です。
一年で一番泣いてしまうのは
クリスマスの季節。
子どもたちが ふわふわの飾りを
つけてくれるとき、嬉しくて、嬉しくて、
本当は腕のように動かせる枝で
子どもたちを ぎゅうっと
抱きしめたい気持ちを抑えて、
嬉しくて、嬉しくて、
笑いながら泣いてしまうそうです。
私が初めて話した時も泣いていました。
もみの木に住んでいたふたりの妖精が
旅に出たあとだったからです。
ひとりはテラ。
テラはフルートを吹く
空色の男の子の妖精。
音に思いを乗せ 風に乗せて、
遠い国の妖精と話ができます。
世界中の妖精からいろいろな話を
聞いたそうです。
面白い話 不思議な話
豊かな国 貧しい国。
テラは いつも見ている幸せな
子どもたちとはかけはなれた、
貧しい国の子どもたちの話を聞いて、
自分が何かできないかと思ったそうです。
友達を訪ねながら、世界中を旅して、
その何かを見つけようと
カモメの背中に乗って旅立ったそうです。
もうひとりはマテラ。
小さな子どもが大好きな、
赤いコスモス色の妖精です。
泣いている子どもの 耳もとで
歌をうたいながら
花の絵の具で耳たぶに絵を描きます。
少しくすぐったいのか
花の絵の具の香りのせいか
子どもは皆 だんだんと笑顔にもどります。
桜の花が一輪咲いた日、空から
たくさんの光の精が迎えに来ました。
マテラは人間として生まれ変わり
夢だった お母さんになるために
空に上っていったそうです。
泣きながら話すもみの木と一緒に
私も少し泣いてしまいました。
ふたりの願いが叶いますように。
私も妖精の中では泣き虫です。
だから私は強いのです。
泣き虫だから強いなんて変ですよね。
でも、妖精は悲しい思いをすると
涙が出る前に消えてしまいます。
涙を流せる妖精はあまりいないのです。
涙が流せるから、悲しい気持ちも
流れて行ってくれるのですね。
私や木の精の流す涙は、流れ落ちる前に、
すぐに空気に溶けて 空に上ってゆきます。
虹になった涙が 雨になって戻ってくると
その雨粒が 妖精や木や花の精の
命のもとになるのだと
もみの木が教えてくれました。
「あなたからは たくさんの新しい命が
生まれているのね」と言うと
もみの木は「そうね、そうね」と
また泣いてしまいました。
もう1本の桜の木には、ローザという
ちょっと変わった妖精がいます。
ローザはサンドとムジカという
猫と暮らしています。
サンドとムジカは普通の猫ではありません。
子猫ぐらいの大きさで、
人には見えないようです。
壁や木があっても、
何もないみたいに通り抜けます。
階段でもあるかのようにトコトコと
空まで歩いても行けます。
ローザは妖精ですが羽がありません。
昔、戦争でこのあたりが
焼けつくされてしまった時に、
羽は消えてしまったそうです。
飛ぶことができないので、
いつもサンドかムジカの背中に乗っています。
ローザは羽だけがなくなりましたが、
悲しい戦争を目の当たりにした妖精たちは、
ほとんどが消えてしまいました。
ローザは羽をなくした代わりに、
不思議な力を持つようになりました。
木の幹に指で円を描くと
傷つけることなく、中に広い空間を
作ることができます。
木に洞がなくても、
妖精の住む場所ができるのです。
私も桜の木に部屋を作ってもらいました。
ローザが教えてくれた言葉を唱えると、
木の外側を通り抜けて
部屋に入ることができます。
私たちが知らない秘密の通路が
あちこちにあります。
この辺りの出来事でローザが
知らないことはありません。
そしていつも仲間のことを心配しています。
心優しい妖精なのです。
ローザは 私が私を知らなかった時から
私を知っていたそうです。
戦争で妖精がいなくなった時、
ローザは サンドとムジカと出会い
住む場所と仲間を探して回ったそうです。
どんなに探しても妖精はおらず、
生き残った木や草の精も
固く心を閉ざしたままだったそうです。
何ヶ月も仲間を探して歩くうち、
目を開けたまま地面に貼り付いたように
動かなくなっている私を見つけたそうです。
何年も 何年も 動かない私を連れ、
居心地のよい場所を探して、
世話をしてくれたようです。
最後に行き着いたのが今の場所でした。
お日様の光をたくさん浴びられるように
桜の木に上げてくれたのも
ローザとサンドとムジカだったのです。
それから何十年も 私は木の上で 動かず、
音も聞こえず、ただ、
空に目を開けていたのでした。
戦火のあの日に 私は何を見たのでしょう。
私が確かだと思えることは
昔も 今も これからも
人間の 心のドアを開けることが
仕事だということです。
人間は よくも わるくも
とても大きな力を持っています。
自分勝手に 自然をねじまげてしまうことも
できるのです。
大切な命を 簡単に消してしまうことも
できるのです。
心のドアが開くほど、
今まで見えなかったものが見え
聞こえなかったものが聞こえるように
なるのだと思います。
人間も 動物も 妖精も
草や 木や 水や 光 風。
いろいろな命に溢れている
大切なこの星の本当の姿を
ひとりでも多くの人間に
見てほしいと思うのです。
私も旅に出ようと思っています。
きっと他の場所にも
私が開けるべきドアがあると思うのです。
もみの木に話せば
きっと泣いてしまうでしょう。
でも、幼稚園は私のふるさとです。
ここでの思いを 子どもたちを
仲間を忘れることはないでしょう。
私の帰る場所なのです。
れいちゃん。しばらくの間、
あなたの姿を見ることができなくなるのは
残念です。
でも、いつか戻ってきた時に
素敵な人に成長したあなたと
会えると思うのです。
12のドアが開いたあなたと
会えると思うのです。
その時まで、さようなら。
2007年9月12日
マーレ
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