へそ 2019
経過観察していた左の卵巣嚢腫が6㎝になり
腹腔鏡手術で取ることになった
ちょうど閉経したので 右も取る
手術前日の夕食から絶食
寝る前に下剤を飲む
翌朝6時半 お通じありましたか?と
私はそんなに早くは出ない
浣腸され 5分は待ってくださいと言われるが
ほんのちょっとも我慢ができずトイレへ
目的は達成したのでよかった
当日11時までに微妙なリンゴ味のパウチを
4つ飲まなければならない
入院前は忙しくて
早く入院して休みたいと思っていたが
今回限りでたくさんだ
12時半の予定だったが遅れ
15時45分手術室から呼ばれた
手術着に着替えて出発
手術台に上がり 点滴用の針が左腕に射され
血圧やら 心拍やら
酸素マスクやらの装置がつけられ
身動きが取れなくなっていく
麻酔医が では始めます 咳が出ますよ
と言うと
数秒後 本当に軽い咳が出る
そしてすぐに意識がなくなった
45分の短い手術時間だったが
時間の感覚はなく
遠くから声が聞こえてくると同時に
不思議な多幸感で満たされていた
頭の中で音楽が流れている
後で思い出すのだが
前夜に観た映画のラストで流れていた
Ave Mariaだった
2週間前
双子がそれぞれ大学生になった
卵巣がなくなった
気楽に
老いと向かい合っていこうじゃないか
その夜
ICUに患者が何人いたか分からないが
右は何度も嘔吐し
左は頻繁に痰の吸引が必要らしく
とても苦しそう
私は生理痛のような下腹部の痛みと
動けないための腰の痛みだけだったが
普段から寝つきが悪いので
ICUのあちこちの音を聞きながら
考え事をしていたが
次第に 左右に身体の向きを変えても
腰の痛みは耐えがたくなった
10時半頃 見習い看護師を従えた
若い看護師が押す車椅子で
すいすいと風を切るように病室に戻った
ベッドに戻るとすぐに病棟の中堅の看護師が
歩いてトイレまで行けるか
見せてくださいと言う
行って戻って しばらくすると
胃の上部がムカムカとしてきた
三半規管が追い付かなかったようだ
黄金色の胃液を吐いた
ビニールから漏れ
着替えたばかりのパジャマを汚す
看護師さんたちが パジャマを洗ってくれ
しぼった暖かいタオルで身体をぬぐってくれ
ありがたい
そこから15時間 何度も吐いた
汚さずに上手く吐いた
部屋は4人部屋
窓側のふたりは年配の方
廊下側の私の向かいは40代で
明日開腹手術をするらしい
いつご飯が食べられるようになりますかと
訊ねている
きっとそれどころではないだろう
胆汁まで吐いた
濁ったオリーブ色で苦い
身体を横たえることが苦痛で
ベッドの頭部分を上げて
寄りかかって耐える
夜勤の看護師と交代しますと
世話をしてくれていた
若い看護師が挨拶に来てくれ
心配そうな顔で私の手に触れた
何も言えなかったが嬉しかった
病院の消灯は9時
同室の方々はそれぞれ寝息を立てている
もしかして卵巣を取った影響で
ホルモンバランスが崩れ
これからずっと
この吐き気と付き合っていくのかと思った
明け方やっと横になれ
2時間ほど眠れた
6時半
看護師が 昨日私に聞いたように
お通じはありましたかと
向かいの方に聞いている
はいありました
ええ…
朝食は8時 吐き気もおさまり
半分ほど食べられる
60時間ぶりの食事だ
昨日の日勤の看護師さんが
カーテンから顔をのぞかせ
回復した私にホッとした
昼には 術後の痛みもほぼなく歩ける
少し腹の中がつっぱったり
チクチクしたりする
午後シャワーを浴びる
なぜか左肩が
ぶつけたように痛くなった
スマホで調べると
手術で腹に入れた炭酸ガスが上がってくるとか
横隔膜が伸ばされた影響で
横隔膜神経が刺激されるとか…
やっと念願のリラックスタイム
借りてきたDVDを観たり 本を読んだり
音楽を聴きながら院内を歩いたり
日中何度も様子を見に来てくれた看護師さんと
話をするようになった
まだ23歳
お母さんは私より3歳下だそう
映画が好きとのこと
お勧めをひとつ教えてくれた
ずっとほとんど眠っていないのに
この夜も眠くならない
昼寝もしている窓側のおばさま方は
消灯後またすぐに眠る
お向かいは今夜ICU 辛いだろうな…
翌日の昼前 お向かいの方が戻って来た
昼食も夕食も食べ
夜9時には3人の寝息が聞こえ始めた
お向かいの方は規則正しくいびきをかいている
私は1時間ほど
音楽を聴きながら1階の広いロビーを
グルグルと歩いた
その夜は眠った
食べられるようになり 眠ったら
腸が動き始めた
でも結局入院中 お通じはなく
睡眠時間は6日間で10時間ほどだった
帰宅したらすこしずつ調整していこう
退院前に医師から手術の説明を受けた
ヘソを切って内視鏡を入れ
左わき腹を小さく切開し
そこから器具を入れ
卵巣と卵管を切除した
20年前 妊娠で身体が変化し
はじめてへその底を見たが
今度は底なしになったわけだ
溶ける糸で縫い閉じてある
画像を見せてもらった
炭酸ガスで腹を膨らませているので
スッキリ空間が広がり
喉の奥を覗いているみたい
子宮は腫れた扁桃腺のようだ
卵巣は象牙色
卵管は思いのほか太い
問題の腫瘍は卵巣の外側にあり
水が溜まって腫れ
膨らんだカエルの喉のようだ
とてもきれいなカナリア色の臓器は
小腸だろうか
退院の日
起床から計算が上がってくるまでには
かなり時間があるので
最後の1本の映画を観た
全部で6本 それぞれ2回ずつ
繰り返して観た
スーツケースに荷物をまとめ
タクシーで自宅へ
次男からノートルダム大聖堂で
火災が起きたことを聞いた
あと少しで平成時代が終わる
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