別れ3
餌を全く食べられなくなった
呼吸も吸う時に筋肉がふるえてしまうほど
力を入れて吸い込まなければできなくなった
かなり前から
この癌には穏やかな最後はない
餓死か窒息死になる
犬にとってそのふたつは
最もつらい死に方だから
安楽死も考えておきなさい
と先生に言われていた
安楽死なんて考えられなかった
けれど いつ窒息するかわからないという
状態がとうとう来てしまい
なみをこれ以上苦しめないために
決断した
とても とてもつらい決断だった
決断から当日までは
今まで経験したことがないほど苦しんだ
なみの病状が悪化するたびに泣いていたが
その数日は泣かないと決めた
体が裂けそうだった
2月18日金曜
朝 夫がなみの散歩に近くの公園に行った
帰りは歩けなくなり抱いて戻った
なみの呼吸はますます困難になった
息を吐くのは楽なようだが
吸うは首を上げないと空気が入らない
呼吸の度に頭を持ち上げるので
ほとんど眠れないのだろう
時々数秒ウトウトし
苦しくなって目が覚め息をする
お見舞いに来てくれた友人からメールが来た
今夜お別れをするって言うのは
安楽死させるって事?
もしそうなら本当に勝手と言いたい
心が痛んだ
安易に決めたわけではない
安楽死の決断からその瞬間までが
飼い主が一番苦しむ時だ
表面は穏やかに
時に笑ったりしていても
ふとした瞬間に
吐き気のように嗚咽がせりあがってくる
なみが病気になってから
引っ張って病院に連れて行ったり
患部を消毒したり
一時は無理に食べさせたりと
私はなみの嫌がることを
しなければならなかった
私がなみに触る時
なみは身構えることもあった
私はなみを大好きなのに
なみに信頼されていないようで
とても悲しかった
ただただ可愛がれたらどんなにいいかと思った
この日 数人がなみに会いに来てくれた
喜んでしっぽを振るなみ
私よりもお客さんがいいのかなと寂しかった
けれどその夜
病院の待合室で別れの時が迫っている時
なみはしっぽを振って
泣いている私の足の間に頭を入れて甘えた
私が席を移動しても
私の方へ向きを変えて
ずっと体をつけていた
最後だからとか
感謝の気持ちとか
なみには深い思いはなかっただろう
でも ただ私のことが
好きと思ってくれていることが嬉しかった
あっけなかった
もっとゆっくり眠るように
逝くのかと思っていた
診察台で注射されてすぐに
なみはガクリと前足から崩れた
瞳が閉じていく
なみ なみ なみ なみ聞こえてる? なみ
先生 まだ聞こえてますか
なみ なみ なみ…
聞こえていただろうか
最後まで 家族に囲まれ愛されていたと
感じてくれただろうか
私は4歳の時
全身麻酔を受けたことがある
手術台の上の丸く並んだライトが
カメラのシャッターが閉じるように
そこから意識もなかった
なみはその瞬間からどこにいたのだろうか
家に連れて帰り 2階に寝かせた
まだ5歳の子どもたちには
死は理解できなかった
悲しみに暮れるのは無理だった
蛍光灯に照らされ
どうしようもない日常がそこにあった
なみの横に布団を敷き
私と子どもたちは
なみとその夜を過ごすことにした
いつものように歯磨きをして
絵本を読んで子どもたちを寝かせた
私はずっとなみに触れていた
まだ温かく 柔らかで
静かに寝ているようだった
出血や痛みを恐れてしばらく
触ることができなかったので
心置きなく触れることが嬉しかった
なみと過ごした10年の思い出を
なみを撫でながらポツリポツリ
夫と話した
11時過ぎ 夫が寝室へ行き
なみとふたりになった
穏やかだった
そろそろ眠ろうと着替えに行った
なみから離れたのは5分もなかった
戻って なみに触れると
ひんやりと硬くなっていた
5分前には温かく柔らかだったのに
彼女は私のために
体に留まっていてくれたのではないか…
翌日は雨だった
なみをひとりで逝かせたくなかった
子どもたちの肌着と
私が双子を出産したときに来たシャツ
夫が長く愛用した長袖のTシャツで
抱くようにくるみ
花と好物とともに荼毘に臥された
着火すると
小さな煙突のまわりの空気が熱でゆらめいた
薄紫がかった灰色の煙が 雨に交ざり
ためらうように揺れながら空にのぼっていった
ここに体がないことが悲しかった
もう見ること触ることができないのが
つらかった
10年半 一日の時間に
なみのあれこれが組み込まれていたので
時間のあちこちに隙間ができて
階段をふみはずしたような
ぎくしゃくしたかんじだ
散歩をしない日々が始まった
のろのろと日常生活を送りながら
時々泣いて
そして楽しかったことを思い出して
整理してゆこうと思った
なみに出会えて私たちは幸せだった
ありがとう
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