親子の愛
聖書の約束の地
(大地はつねに母の象徴である)は
「乳と蜜の流れる地」として
描かれている。
乳は愛の第一の側面、
すなわち世話と肯定の象徴である。
蜜は人生の甘美さや、
人生への愛や、
生きていることの幸福を象徴している。
たいていの母親は
「乳」を与えることはできるが、
「蜜」も与えることのできる母親は
ごく少数である。
蜜を与えることができるためには、
母親はたんなる
「良い母親」であるだけではだめで、
幸福な人間でなければならないが、
そういう母親はめったにいない。P81
母性愛の真価が問われるのは、
幼児にたいする愛においてではなく、
成長をとげた子どもに対する
愛においてである。
母親が子どもを
自分の一部と感じているかぎり、
子どもを溺愛することは
自分のナルシシズムを
満足させることにもなる。
また別の動機として、
母親の権力欲や所有欲を
挙げることができよう。
子どもは無力で、
全面的に母親の意志に従うから、
所有欲のつよい
支配的な母親にとっては、
自分の支配欲を満足させる
恰好の獲物なのである。P82
母親は子どもの巣立ちを
耐え忍ぶだけでなく、それを望み、
後押ししなければならない。P84
成長しつつある子どもにたいする
母性愛のような、
自分のためには何も望まない愛は、
おそらく実現するのが
もっともむずかしい愛の形である。P84
愛情深い母親になれるかなれないかは、
すすんで別離に堪えるかどうか、
そして別離の後も変わらず
愛しつづけることができるかどうか
によるのである。P85
子どもの可能性を
「信じる」という信念を
もっているかどうかが、
教育と洗脳のちがいである。
教育とは、
子どもがその可能性を
実現してゆくのを助けることである。
教育の反対が洗脳である。
大人が正しいと思うことを
子どもに吹き込み、
正しくないと思われることを
根絶すれば、
子どもは正しく成長するだろうという
思い込みに基づいている。
ロボットにたいして
信念を持つ必要はない。
ロボットにも信念はないのだから。
P185
「愛するということ THE ART OF LOVING」
エーリッヒ・フロム Erich Fromm
1900~1980 ドイツ
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