異性愛 エーリッヒ・フロム
他の人間と完全に融合した、
一つになりたいという
つよい願望である。
誰かを愛するというのは
単なる激しい感情ではない。
それは決意であり、決断であり、
約束である。
もし愛が
たんなる感情にすぎないとしたら、
「あなたを永遠に愛します」
という約束には
なんの根拠もないことになる。
感情は生まれ、また消えていく。
もし自分の行為が決意と決断に
もとづいていなかったら、
私の愛は永遠だなどと、
どうして言い切ることができよう。
二人の人間が
自分たちの存在の中心と中心で
意志を通じあうとき、
すなわちそれぞれが
自分の存在の中心において
自分自身を経験するとき、
はじめて愛が生まれる。
この「中心における経験」のなかにしか、
人間の現実はない。
人間の生はそこにしかなく、
したがって愛の基盤もそこにしかない。
そうした経験にもとづく愛は、
たえまない挑戦である。
それは安らぎの場ではなく、
活動であり、成長であり、
共同作業である。
調和があるのか対立があるのか、
喜びがあるのか悲しみがあるのか
などといったことは、
根本的な事実に比べたら
取るに足らない問題だ。
根本的な事実とはすなわち、
二人の人間が
それぞれの存在の本質において
自分自身を経験し、
自分自身から逃避するのではなく、
自分自身と一体化することによって、
相手と一体化するということである。
愛があることを証明するものは
ただ一つ。
すなわち二人の結びつきの深さ、
それぞれの生命力と強さである。
これが実ったところにのみ、
愛が認められる。
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