物語4 Salina Carter の 家

陸くん 海くんへ


わたしのために

ピアノのえほんをひろげて

まいにち 一まいずつ

ページをめくってくれてありがとう。

とてもうれしかったです。


このごろひいている曲は 

みんなすてきですね。

わたしもだいすきです。

おぼえた曲もたくさんあって

大きなこえでまいにち

いっしょにうたっています。

きこえませんか?


てがみもありがとう。

わたしは とてもおどろいています。

サンタさんは なぜ

わたしにもプレゼントを

くださったのでしょう?

サンタさんは

わたしの木のいえのことを

しっているのでしょうか?


わたしのすんでいる木は

日がのぼってから しずむまで

ずっと ひのあたる

とても気もちのいい

 こぶしの木です。


まだ木がわかいので

ほらはありませんが

みきのたかいところに

とりのすばこが ふたつかけてあって

そこがわたしのいえです。


ひとつのすばこは ねむるばしょ

もうひとつは しごとばです。

しごとばでは ピアノを作ったり

コインを作ったりしています。

ピアノのかたちは

だいぶできあがってきましたが

まだ ぜんぶのけんばんを

作るには はがたりません。

子どもたちが はをまくらの下に

入れてくれるのをまちながら

ゆっくり作っています。


コイン作りは おおいそがしです。

わたしの作るコインは

人気があるようで こうえんに

もっていくと いろいろなものと

こうかんできます。

きれいないろの石を

いくつかもらったので

陸くんと 海くんにも

おすそわけしますね。


サンタさんは 

わたしの木のいえのことを

しっているのでしょうか?

じつは このごろ

すこし こまっていたのです。

おひさまがでているあいだは

まえとかわらず

いごこちがよいのですが

すこしまえに できあがった

大きなたてもののあかりが

よなかも ずっとあかるいままで

ゆっくりねむれないのです。


木のみきを ながれている水の音も

まえはさらさらと 川のながれのように

つづいていましたが

このごろは ながれが

とまっているのかと

しんぱいになるほど

ときどき 音が小さくなるのです。

木はげんきそうに

「だいじょうぶ」

とこたえますが わたしよりも

よる  なんどもめが

さめているようです。


そんなことがあって わたしは

まえよりも

ひつじのにんぎょうのあいだで

ねむることがおおくなっていました。

わたしは ねむるばしょを

 かえられるけど

こぶしの木はかわいそう。

いろいろなことをしっていて

いろいろなはなしをきかせてくれる

とてもたのしい木なので

ずっとげんきでいてくれると

いいのだけれど…。


サンタさんは ひつじのあいだで

ねむるわたしを このいえの

子どもと まちがえたのかしら?

まちがえるはずないですよね。

小さいし、はねもあるし…。

子どもじゃないけど かぞくだと

思ってくれたのかしら?

それだったら とてもうれしいです。

こんなに しあわせな ようせいは

ほかにいるでしょうか。


サンタさんがくださった

ベッドと いすは

わたしの大きさにぴったりです。

陸くんと 海くんの お母さんが

あんでくれた まっしろなもうふは

ふわふわとして きれいで

とてもあたたかです。

ベッドのまわりを つかいやすく

すてきにかざってくださって

うれしい きもちで いっぱいです。

サンタさんにも 陸くんと 海くんと

お父さんと お母さんにも

おれいをもうしあげます。

どうもありがとうございました。


よるは ここにかえってきて ねむり

木のいえは、ふたつとも

しごとばとして つかうことにします。

ひろくなるので ちがうものも

作れるようになるかもしれません。

なにを作ろうかと

たのしみに思っています。


きょ年の 11月のあたたかな日に

おおぜいの ひかりのせいが 

けやきのおじいさんと

おしゃべりをしにきました。

いろいろな はなしを

わたしもたのしく きいていましたが

そのなかで

とてもおどろくものがありました。

ずっとまえに けやきのおじいさんのえだに

すんでいたようせいが

このあいだ にんげんの

あかちゃんになってうまれてきたのですって!


わたしはしりませんでした。

ようせいも にんげんになることが

できるなんて!

そのあかちゃんは、わかいお母さんの

おなかのなかであたたかく

つつまれていること

やさしいこえで はなしかけられること

ドキンドキンと なるむねが

うれしくて うれしくて

しかたがなかったのですって。


でも にんげんに うまれるのは

はじめてだったから うれしいばっかりで

いつ どうやって うまれたらいいか

どんなふうに なるのか

なにも しらなくて

うまれるとき こわくて

あんまりくるしくって

うごけなくなってしまったのですって。

お母さんのちからと

おいしゃさんのたすけで

 やっとうまれたのだけど

もう あかちゃんは

ちからがなくなってしまって

お父さんの はげますこえ

 お母さんの なくこえをききながらも

うまれたてのいのちは

すこしのじかんで

おわってしまったのですって。


いのちをつづけられなかったのは

それはそれは かなしかったけれど

はじめて じぶんが あいじょうの

まんなかにいて

心が ギューっと いたくなるほど

しあわせで…しあわせで…

しあわせなきもちで いっぱいの

とてもあつい なみだが

こぼれたのですって。


にんげんの心と体は

くるしいこともあるけど

またしっぱいするかもしれないけど

あいされる

あいする しあわせを

しることができたから

またつぎも そのつぎも

にんげんのあかちゃんになりたいと

おもったのですって。

またにんげんのあかちゃんになって

 つぎはもっと

おおきくなりたいのですって。


ようせいもにんげんになれるなんて!

木や 光のせい むしや どうぶつも

にんげんになれるのかしら?


わたしが こぶしの木を みつけたのは

陸くんと 海くんのいえを しるよりも

ほんのすこし まえでした。


夕やけの空を とんでいると

ふと  うたうこえが きこえた気がして

ふりかえると 白い花が

はばたくように

さいている木がありました。

わたしは すいよせられるように

木までとんで行きました。

うたはもう きこえませんでした。


その木に ふたつ 

すばこがありました。

ふたつとも ガランとして

空きやでした。

まえにはなんども とりがすんだようで

たくさん きずがありましたが

とてもせいけつでした。

そのよるから わたしはそこで

ねむるようになりました。


なん日かたった 月のきれいなよる

また うたが きこえてきました。

きいたことのない うただけれど

なぜか なつかしくて あたたかい

きもちになるうたでした。


だれがうたっているのかと

そとに出ると こぶしの木の

いちばんたかいえだに

まひるの月のように ぎんいろで

うっすらと光る

女の子がすわっていました。

こえをかけたら かぜになって

きえてしまいそうに  あわいいろでした。

わたしは はなれたばしょに

そっとすわり 女の子とおなじように

ひざをかかえ 目をとじました。

たかくひくく よるの空気を

そっとふるわす

いつまでも きいていたい

うたごえでした。

わたしは ねむってしまったのか

気がつくと うたはおわり

女の子はいませんでした。


それからときどき

おなじような月のよるや

朝やけがはじまるころ

あたたかなごご

ゆうぐれのうすやみに

その女の子はおなじばしょで

おなじうたをうたいました。


そんなとき こぶしの木は

いつも うつらうつらと

ねむっていて

あとできいても そんなうたは

きいたことはないし

女の子のことも しらないと

いいます。

わたしは あの女の子は

こぶしの木の ほんとうの

すがたなのだと おもいます。


こぶしの木が 木のいのちを

おえたとき 木は

あの女の子の すがたにもどって

べつのばしょに

たびだつのだろうと おもいます。

木のせいも にんげんに

なるのだろうと おもいます。


そう ほうこくしようと

おもっていたことが あります。

陸くんと 海くんの いえから

とびたっていった せのたかい

女のようせいと あうことができました。

こうえんの いちばを

みて あるいていたら

あのようせいが おみせを

出していたのです。


なまえはココです。

ココには かわいいパートナーが

できていました。

とても はずかしがりやの

小さなようせい なまえは

ステファニーです。


ココと ステファニーは

こうえんで しりあったそうですが

にんげんの おやこのように

とっても よくにています。

ふたりは いっしょにすんで

いっしょに しごとをしています。


おうちにも あそびにいきました。

ふたりのいえは

大きな まあるいどんぐりができる

お母さんのように やさしくて

にぎやかな クヌギの木です。

クヌギの木も にぎやかですが

すんでいる ようせいたちもたのしくて

あそびにいくと いつもわらってばかりです。


ココは まえとおなじように

こうえんに さんぽにくる

犬やネコの毛を あつめて

おりものを つくっています。

ステファニーは 木のえだや

はっぱや 石をつかって

ふしぎで おもしろいものを

いろいろと作っていますが

まだまだ いろいろなことに

ちょうせんしてみたいようで

おなじものは ひとつも ありません。

そのうちに

きっとすばらしいものを作る

ようせいになるでしょう。


ふたりは とてもなかよしです。

そして なんどみても そっくりです。

いつかきっと ふたりは

にんげんになって ほんとうの

おやこに なるんじゃぁないかしら。


わたしにも そんな日が くるのかしら?

でも きっとそれは

ずっとさきのことだと おもいます。

わたしは ようせいとして

うまれたばかり

まだまだしらないこと

やりたいことがたくさんあります。

ピアノもかんせいさせて

じょうずにひけるようにならなくちゃ。

これから なんねんか

なんじゅうねんかは わかりませんが

わたしの ようせいの いのちを

まいにち たのしみたいと

思っています。


陸くんと 海くんも ずっとまえは

ようせいだったのですか?


2007年 2月 11日

サリーナ・カーター

青空通信

双子の子育てや離婚、自分の成長、 他の方々から頂いた言葉、 出会った言葉を綴っています。

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