運動神経

意外にも ふたりは運動神経が良かった

ふたりを探すには まず高い所を見た

すべり台か ジャングルジムか

のぼり棒か

ブランコの鉄枠の両端に

ふたりがしゃちほこのように

座っていたこともある

高い所にいなければ

建物の陰で昆虫を探していたり

泥団子を丸めていたりした


園庭の どこでどんな砂が採れるかを

彼らは熟知していた

日がな一日かけて作ったであろう

ツルツルピカピカの泥団子は

仕上がりの色で

ホワイトチョーとかブラックチョーとか

名前を付けられ

彼らの宝物になった

そして それを誰かさんが

壊したとか壊さないとかで

彼らなりの本気の喧嘩に発展する


のぼり棒の上に座れるというのは

彼らにとってあこがれだった

日々挑戦し 足甲の皮が擦り剥けても

構わずにまた登った

年中の後半 頂上に座れるようになり

誇らしげに誕生日の写真が笑っている


年長では6段の跳び箱を

飛べるようになった

運動会の障害物競走で

格好よくひらりと飛び越すことは

幼稚園時代の 彼らの目指す

頂点だったかもしれない


いかに早く走れるか

運動靴にこだわりを持ち始めたのもこの頃

「駿足」だ

年中から始めたサッカーは 大人の目には

ボール遊びのようなものだったが

彼らは真剣だ

でも集中力は続かないので

合間は虫探しや草むしり


小学校に上がると 時折胸のすくような

プレーを見ることができた

運動会では ふたりとも

6年連続でリレーに出場し

徒競争でも見ごたえのある勝負に

客席からどよめきがあったり


誇らしかった




この世では、

なにを悲しむかということは、

すこしも問題ではなく、

どれだけふかく悲しむか、

ということだけが問題なのです。

エーリッヒ・ケストナー


幼少の頃というのは、

大人が描く

「極上の粉で焼いたお菓子みたい」なもの

ではない。

そこには大人に劣らぬ悲しみがある。

人形が壊れたことと

友をなくしたことに重さの差はなく、

むしろ悲しみとまっすぐ向きあう力を

持つことが大切だと、

ドイツの作家は言う。

高等中学校の寄宿舎を舞台とした少年小説

『飛ぶ教室』から。

朝日新聞 折々のことば 2018.8.15

青空通信

双子の子育てや離婚、自分の成長、 他の方々から頂いた言葉、 出会った言葉を綴っています。

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