別れ1
2004年8月24日
朝から太陽が照りつける暑い日だった
かかりつけの動物病院に行った帰り道
黒いボクサー犬が
遠くからこちらをめがけて走ってきた
息を切らせ走る犬は
笑っているように見える
遊びたいのか?攻撃か?
攻撃と見て なみが応戦しないように
首輪をつかみ 頭を抱きかかえた
その犬は吠えもせず
走ってくるなりなみの左腿に噛み付いた
飼い主のおじさんが追いつき
あやまりながら引き剥がす
なみは鳴きもせず
やり返しもせず固くなって震えた
血も流れていなかったので
とにかく家に連れて帰った
玄関で毛を分けると
パックリとL字型に皮膚が裂けていた
動物病院へ引き返し急遽縫合した
前日 なみの左犬歯の奥の歯茎に
ぶどうのような出来物を見つけた
嫌な予感がした
その診察の帰り道だった
先生の対応もやけに迅速だった
2日後に切除手術をして
組織の培養検査に出した
10日後の9月5日
検査の結果が出た
悪性間葉系腫瘍 癌だ
なみは 叔母の家で生まれ
結婚した年の夏に仲間になり
川の字で寝た
なみを連れたくさん旅行をした
私はなみと出勤し
なみは一日私の足元にいた
なみが5歳の秋に双子の男の子
陸と海が生まれた
ふたりの赤ちゃんの世話の大変さは
尋常じゃなかった。
近所の人が自分の犬と一緒に
なみを散歩してくれた
なみが小さい頃からお世話になり
なみも私も慕っている史子さん
犬はシベリアンハスキーの凌くんと
グレートピレニーズの翔くん
なみはメスのゴールデンレトリバーで、
大型犬3頭を連れ歩く史子さんご自身も
優雅で素敵だった
けれどやっぱりいろいろな場面で
なみが後回しになってしまい
たくさん我慢させてしまった
ブラッシングをするのも忘れがちになり
耳の後ろの飾り毛が
大きな毛玉になっていたこともあった
ふたりがもう少し大きくなれば
なみとゆっくり過ごす時間も
できると思っていた
双子は5歳になり
なみは10歳になった
なみの腫瘍が悪性と診断された日
先生はすぐに東大動物医療センターへ
予約を入れてくれた
その週の木曜9月9日が初診
家族で行った
患部をもっと大きく切除し
週2回ずつ放射線治療を受けることになった
翌週14日火曜9時になみを預け
切除手術と1回目の放射線治療を受けた
日中は一般診療で
照射の時間は夕方から始まる
予約は3時~4時
一旦帰宅し その日の夕方
陸と海を連れ なみを迎えに行った
9月16日木曜 27日月曜 30日木曜
10月4日月曜 7日木曜 14日木曜
午後 車になみを乗せ
幼稚園へ陸と海を迎えに行き 東大へ
予約をしていても
順番が来るまで軽く1時間は待つ
自宅近くの病院で診れなくなった
重病の犬や猫たち
逆さまつげのバーニーズもいた
名前が呼ばれると
診察室に入り経過を見て問診
検温し なみを預ける
放射線治療は全身麻酔だ
照射が済んでも麻酔から覚めるまでは
診察室から戻らない
暗くなるまで長い時間待った
大学の購買部でお菓子を買って食べたり
どんぐりをひろったり
キャンパスにはたくさん
マテバシイのどんぐりや
銀杏が落ちている
学生は拾わないのだろう
銀杏は近隣の人が拾っている姿を見かけたが
ドングリは誰も拾わない
近くの公園にこんなに落ちていたら
子どもたちは喜ぶだろうな…
なみは診察室から出てきても
完全に麻酔が覚めていない
足腰がふにゃふにゃでしっかり歩けない
支えながら歩かせ
エレベーターに乗せ
会計を済ませる
なみが癌と診断されてから
一万円札をただの紙切れのように
無感覚で出すようになった
ふにゃふにゃするなみを
抱くように車に乗せる
帰宅は7時
あのころ夕食はどうしてたのだろう
陸と海が赤ちゃんの間
自分が何を食べていたのか
思い出せなかったが
この時のこともよく覚えていない
放射線治療を受けたら治ると思っていた
ちょうど陸と海が七五三だった
近所の神社で
なみも一緒に癌が治るように
お祓いをしてもらった
神殿にも入れてもらって
神主さんの
名犬なみは、病に倒れー…という祝詞や
人型の紙で全身を清められている姿を
単純に面白おかしく見ていた
破魔矢と
陸と海となみの3つのお札と
3つのお守りを貰った
写真館でなみと一緒に写真も撮った
出来上がった写真の
なみの笑ったような顔がとてもよかった
10月18日月曜 21日木曜
25日月曜 28日木曜
放射線は健康な細胞も痛める
12回を1セットで
一旦休ませて様子を見る
あと1回で終わりだった
10月29日金曜 木場公園をなみと散歩し
広場でボール投げをしていた
穏やかな秋晴れに
通院をよく頑張ったなぁと
爽やかだけれど
少し名残惜しいような気分にさえなっていた
高く上がったボールを
なみがキャッチする時
上顎の真ん中がポツンと赤く見えた
口に手を入れ触ると 固い
癌は固いという… 転移?
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